■高崎・旧跡
少林山達磨寺
洗心亭
だるまの絵付け体験
だるまの眼入れ
少林山だるま市
だるまの起源
山名八幡宮
金井沢の碑(国特別史跡)
石碑の路(いしぶみのみち)
山ノ上の碑(国特別史跡)
倉賀野宿脇本陣
倉賀野宿日光例弊使街道と常夜灯
高崎市田町の街並み
高崎市大信寺の徳川忠長の墓
高崎市一里塚
高崎市上豊岡の茶屋本陣
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高崎市一里塚
江戸時代に江戸から京都まで続く道は、幹線道路としてとても大切にされていました。 江戸と京都を結ぶ幹線道路には、海沿いの道東海道と山沿いの道中山道)がありました。 一里塚というのは、慶長九年(1604年)に江戸幕府2代将軍秀忠の命令で主な街道が整備された時、街道一里(約4キロメートル)ごとに、目印で築かれたものです。
中山道は、正徳6(1716)年に幕府から、「海道に対する山道であるから、公文書では中仙道の文字はあやまりであるというお触れが出されたそうです。
高崎市上豊岡町にある一里塚は、群馬県で唯一形の残っている一里塚で、樹齢380年と言われる榎(えのき)が塚の上にしげっています。
この一里塚は江戸日本橋から28里にあたり、中山道で江戸からの距離は約112kmになります。
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